〜セピア色の手紙〜 後編 |
作者: 神田 凪 2008年07月01日(火) 18時13分54秒公開 ID:Fpk3UqE6X6I |
「そう・・・あの子言わなかったの」 彼女の母親は今にも消えそうな声で、呟いた。 ピッピッ、と機械音が部屋中に響く。ベットに横になる彼女は荒く呼吸をし、顔も苦しそうに歪んでいた。 「・・・再発したの」 何も脈絡もなく、母親は言った。意味が分からなく、黙って先を促すとゆっくり・・・ゆっくり話し出した。 「もう、3年も前に病気は完治したはずなのに・・・肺に転移していて・・・・・・、半年前、再発したって・・・」 半年前。 俺と彼女が出逢ったのも半年前。 そういえば、彼女は、初めて出逢った時どんな様子だった? ベンチに腰掛け・・・笑って、笑って泣いていた。 病気のことを知った後だったのだ。 俺は・・・俺は、何も知らなかった。いや、知ろうともしなかった。 彼女の苦しみも、知ろうとしないまま・・・俺は!! 「――、君?」 ハッとして、視線を向ければ彼女が目を微かに開け、こちらを見ていた。 だんだんと意識がはっきりしてきたのか、俺の隣にいる母親の姿を見た途端、彼女は大きく目を開き、悲しそうな顔をした。 「知っ、たん、だ」 途切れ途切れの苦しそうな声。母親は耐えられなくなったのか、そっと病室から出ていった。 俺は彼女の側に寄って、彼女の手を握った。 「ごめん俺、何も知らなくて・・・」 「何、で、あやまる、の?」 握り返す力もない彼女の手は冷たかった。 「わた、し、楽しかったよ? あなたに、会えてから毎日、まいに、ち」 それから彼女は一端言葉を切り、大きく息を吸い込んだ。 唇が震えている。 そして、 「しに、たくな、い」 ポロリと涙が彼女の瞳から流れる。 「死にたくない、死に、たくないっ。もっともっと、生きて、あなたと、あなた、と」 俺はギュッと強く彼女の手を握った。 何も出来ない。俺は何も出来ない。 「なのに、どし、て? 生きたいよ、死んで、あなたに、みんなに、忘れられるのは嫌だ、嫌だ!!」 話すのも苦しいだろうに、それでも彼女は叫んだ。 悔しくて、悔しくて、俺の瞳からも涙が流れる。 「死なないよ。お前は死なない。生きて、俺と一緒にいるんだ。誰にも忘れられない。だから大丈夫だよ? お前は死なない」 何にも根拠がない。だけど、彼女は死なない。死ぬわけがない。 そう勝手に思いこんだ。 □ ■ 「だけど、彼女は死んだ。それから五日後のことだった。あまりにも突然で・・・最期にも会えなくて、実感がまったくなかった」 彼は、こんな風に話せるまでどんなに苦しんだのだろうか。 そこまで思ってもらえていた、『彼女』が羨ましい、と一瞬ひどいことまで考えてしまった。 「それ、」 彼は私が手に持つ手紙を指差した。 「彼女の母親からもらったんだ」 《 これ、あの子が死ぬ二日前に書いていたの。 あなたにって・・・つらいのは分かっている。本当は、いつまでもあの子のことを引きずって欲しくないわ。けど、読まなくても良いから、もらうだけでいいから・・・ 》 「俺は、一年間手紙を読むことが出来なかった。読んでしまうと、彼女が死んだと認めてしまうことになるんじゃないかって思って。読めなかった」 「じゃあ、どうして、読んだの?」 彼は泣かなかった。苦しそうに話すけど、泣かなかった。 だから、私が泣きそうになった。 「さぁ、・・・何でだろう。たぶん・・・時間が過ぎたから」 「え、」 「時は残酷だよな。あんなに好きだったのに。大好きだったのに。その気持ちが分からなくなっていくんだ」 だから、それが嫌で、・・・思い出したくて、手紙を開いた。 私は、そこまで聞いてもう一度・・・手紙を読み始めた。 □ ■ ―― ごめんなさい 私、あなたに甘えてばかりだった。 病気のことを知ってあなたは、私のことを一番に優先してくれた。 ごめんなさい。それでも私はあなたの一番になれて嬉しかった。 お医者さまにあとどれくらい生きられるか聞いて、 親も私も周りのみんなも諦めていたのにあなただけは死なないって言ってくれた。 その時、本当に私は死なないんじゃないかって思った。 あなたと一緒に、生きていけるんじゃないかって。 だから、もしものためにこの手紙を書きました。 できれば、この手紙を誰も読まないことを祈ります。 本当は、本当はテレビや小説のように・・・ 私のことを忘れて幸せになってと言いたいけど、ごめんなさい。 あなたの幸せを願えない私でごめんなさい。 忘れてほしくない。私が、あなたを好きになったということを忘れて欲しくない。 お願い、さいごのお願いです。 誰か別の人と、幸せになってもいい。 だけど、私がいたということを、私が存在していたということを・・・。 我が儘ばかりでごめんなさい。嫌な女でごめんなさい。 それでも、 私を、わたしを わ す れ な い で 私は、この世界に生きてきました。 学校で多くのことを学び、友達も出来て、あなたとも会えました。 だから――――、―――― ああ、俺は、何て馬鹿だったのだろう。 毎日が退屈だった。つまらなかった。その日常がどんなに幸せなことだったのか、分かろうともしなかった。 「ぁ・・・、ああぁぁぁ!!!!」 手紙の上に涙がこぼれ落ちる。 この手紙を読むまでにすごく時間がかかったことに後悔をした。もし、早く読んでいたら、君のことだけじゃなくて・・・君を好きになった気持ちも忘れずにすんだのに。 ごめん、ごめん、 分かった。君のことは、忘れないよ。でも、君をずっと好きでいることは約束できない。 時間はきっと何もかも忘れさせようとする。君を好きだった気持ちもだんだんと薄らいでいく。 でも、その気持ちがなくなっても俺が君を好きになったということは忘れない。忘れないから。 俺をこんなにも想ってくれてありがとう。 □ ■ 「・・・ごめん。もし、結婚をやめたいのならそれでもいい。何もかも俺が悪い。君にとっては気分が悪いだろう。だから、」 「馬鹿にしないで」 「え?」 伏せていた顔を驚いたように彼は上げた。私は手紙を大事に封筒にしまうと、彼に返した。 「気分が悪い? ええ、悔しいわよ! 私以外にあなたのなかに大事な人がいるなんて・・・悔しいに決まってるじゃない!!」 呆然と彼は私の言葉を聞く。こんな風に返されるとは思っていなかったのだろう。 「でも、彼女を覚えていることもあなただと言うのなら、私はそんなあなたを愛したことになる。それを知ったからって、その愛した気持ちまでも否定するなんて・・・そっちのほうが気分が悪いわ!!」 そうよ。私は彼を愛した。そんな彼のなかに何があろうと、私は全部をひっくるめて彼を愛したのよ。 「私は、私は、あなたのことを愛している」 「俺も愛してるよ」 気が付いたら涙が出ていた。何で流れるのか分からない。 自分の気持ちを否定されたようだったからか。 彼の言葉が嬉しかったからか。『彼女』のことを思ってか。 彼は、優しく私の頭を撫でた。 「ごめん。君の気持ちを疑ったわけじゃない。でも、ありがとう。・・・やっぱり君を選んでよかった」 最後の言葉は自分に言い聞かせるようで、優しくて穏やかな声音だった。 そして、サッと姿勢を正し私の目を真っ直ぐ見る。 「もう一度、聞くよ。俺と、俺と結婚してください」 「・・・ええ、喜んで」 ならば私も言おう。 あなたを選んで良かった。 その時、暖かい風が窓から入り込んだ。 気のせいかもしれない。でも、優しい誰かの声が微かに聞こえた気がした。 私は、この世界に生きてきました。 学校で多くのことを学び、友達も出来て、あなたとも会えました。 だから私はここにいました。確かにこの世界に存在し、 あなたいう存在を好きになったんです。 |
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