血染めのノクテュルヌ-You know it's true- 第三章
作者: 清嵐青梨   2009年02月22日(日) 18時40分59秒公開   ID:L6pfEASBmTs
それじゃ陵牙くんは暫く現場への復帰は無理みたいだね、と義兄――旧姓が斉藤という――司が、床の間に飾ってある陶器を綺麗に拭き乍ら隼人の話に耳を傾ける。一方の隼人は昨晩あの陵牙を奮闘させた槍使いの際に使ったクナイの刃を研いでいた。刃こぼれがしたわけではないが、せめてコンクリよりも硬いものが綺麗に斬れるようにと丹念に研ぐ。

懸命に研いでいると向こうからカタンと乾いた音が耳に届いた、拭き終わった陶器を机に置いたのだろう。ちらりと見ると義兄は次の陶器を拭こうと手を伸ばそうとした。所詮は陶器愛好家で機巧技術家カラクリアルティストの分際だな…と思っていた時だった。


「それにしても…あの陵牙くんが真逆クー・フーリン相手に其処まで梃子摺てこずるなんてね…いやはや、信じられん」
「……クー・フーリンって?」


行き成り司が隼人には分からない単語を言い出した、思わず彼は研いでいたクナイを仕舞い、彼の顔を直視するなりその視線に気付いた彼が、そういえば英雄の話についてまだ教えていなかったねと言い、拭こうとした陶器を畳の上にそっと壊れぬ様に置く。


「それじゃ聞くけど隼人…君は“英雄”と聞いて思い浮かぶものは何だい?」
「そりゃ…世界的にも有名な英雄・アーサー王と人類最古の英雄王・ギルガメッシュとギリシャ神話で有名な英雄・ヘラクレスだけだけど…」
「ほぉ…あのギルガメッシュまで知っているとは…流石我が弟、「俺はお前のことを義兄にいさんとは決まってない」……そうだったね。話を一寸逸らしたけど本題に参ろうか」


と、司は完全に身体を陶器から隼人の方へ向き直り姿勢を正すと切れ目の良い翡翠色の目で彼を見据える様に見ると言った。


「確かにアーサー王やギルガメッシュといった大英雄は世界的にも有名だけど、他にも英雄と名乗る人物もいるんだよ。仮令女性でも、栄光を讃えられる事で“英雄”と呼ばれることだってある」
「…例えばどんなのがいるんだよ?」

「そうだな……隼人はメデューサやメディアといった神話に出てくる女性の名前を知っているかい?」


と、得意げな表情で隼人を見てくる司に一寸腹立たしい気分になりむっと顔をしかめると、一体誰の弟だと思っているのさ、と腕を組む。


「メデューサくらいは知っているさ、相手を石にするギリシャ神話に出てくるなんとか姉妹の末妹だろう?けどメディアは聞いたことないな…誰だそりゃ」
「メディアは先ほど隼人が言った通り、これもギリシャ神話に出てくる裏切りの魔女だよ。結構有名なんだけど、知らないか?」
「知らないよ、亡くなった姉さんが何にも教えちゃ呉れなかったからさ…。今回が初めてだよ」


隼人は素直に義兄が教えたことを認めそっぽ向くと、そうか…と呆れた笑みを浮かべた司は却説、先ほどお前が聞きたがっていた英雄の話をするとするか、と言って着物の袖に腕を入れる。


「クー・フーリンというのはケルト神話における大英雄で、アイルランドで最も有名な光の皇子のことだよ。ケルト神話に関しては初めて聞くだろう?」
「確かに俺が姉さんに教えて呉れたのはギリシャ神話ぐらいしか…ケルト神話なんてものは初めて聞いたよ」
「そうだろ?更に詳しく話すと、モリガンという女性がいてね。彼女は古代ケルト神話における三位一体の戦いの女神でもあって、さっき話したクー・フーリンを助けたり邪魔したりと戦いの中でクー・フーリンに対しては違う面を見せてるんだ」
「あれ?…なんでクー・フーリンを助けたのに邪魔なんかするんだよ?なんか恨みでもあるとか、」


其処まで言ったところで司が着物の袖に入れた両腕を出し、右手を自分の顔に翳して待てと隼人の台詞を制した。


「いや…決してクー・フーリンに対して恨みも何にも持っちゃいない、彼女はTrain Bo Cualingeという話の中では彼とは殆ど共通の関係だと知られていると書かれてあるんだ。だから何にも恨みなんか持ってはいないんだ」
「そうだとすれば……いや、一寸待って。今の話はそのモリガンっていう女性の話だろう?肝心のクー・フーリンの話はどうなったんだよ?」
「まぁそう焦るな、焦りは時に死を招くことだってあるんだよ。良いかい、ケルト神話には様々な伝説が数多く残されている。アルスター伝説・フィアナ伝説の二つがあって、アルスター伝説こそが英雄・クー・フーリンが活躍する物語だ」


やっと此処で英雄の話が出たか…ほっと胸を撫で下ろしたのも束の間だった。アルスター伝説の前にもう一つ教えなきゃいけないことがあったんだったと、司がぽんと手を打つなりそう言うと、机に置いてあった出涸らしの茶が入った湯飲みを持ち、ズズ…と一口飲むと再び湯飲みを机の上に置く。


「一寸聞くが隼人…君はダーナ神族という一族を知っているかい?」
「そんな一族知らないよ。精々ドワーフくらいしか知らないよ…」


素っ気無い返事で返すと司は、はは、ファンタジーだねぇと乾いた笑い声と共にそう言って再び両腕を袖の中に入れた。


「良いかい、この一族は後にアルスター伝説にも一寸関わるから聞けよ。ダーナ神族というのはアイルランドにある孤島・エリン島にいくつかの種族の所謂物語の一種で、その中心となるのは女神ダヌを母神とするトゥアハ・デ・ダナーンこと後のダーナ神族だ。日本で一般にケルト神話と呼ばれるのはこの物語が主流だからなんだ。またさっき上げられた多くの神話が、このダヌの子達とフォモール族の女神ダヌムの子達の戦いを描いている物語なんだ」
「…つまり、その物語にいるダーナ神族をクー・フーリンが倒したってことになるのか?」
「正確にはミレシア一族がダーナ神族を破り、アイルランドを制覇した後の物語がそのアルスター伝説なんだよ」

「…あーもう…なんかややこしいなぁケルト神話って、それで…そのアルスター伝説の中でクー・フーリンが活躍するんだろ?」
「まぁね、隼人から見たらそうなるなぁ………。ところで隼人、お前はクー・フーリンに関して何処まで知っているんだい?」
「え……知らないけど…」


行き成り司からの突発的な質問に不意を突かれた隼人は思わずきょとんとした表情になり、暫く黙り込むとぽつりと素直に己がケルト神話の英雄のことに関して無知だということを明かす。
彼の様子を見兼ねたのか、そんなにシュンとしなくても良いよと義兄は義弟に対して優しく声をかけると言った。


「知らないなら仕方ないなぁ…教えてあげないといったら死んだお姉さんに悪いから教えてあげよう。クー・フーリンは半神半人の英雄で、まぁこれは簡単に言うと半分が神様の血を受け継いでいるということだ」
「てことは…片方が神様でもう片方が人間の間で産まれたってこと?」
「そう。父親はかの有名な太陽神・ルーで、母親はコノア王の妹デヒテラの間で産まれたんだ。 美しい容貌だが、いざ戦いが始まると激しく痙攣し、顎が頭くらいの大きさになり、逆立つ髪から血が滴るほどの恐ろしい形相に変貌すると神話にはそう書かれている」


其処まで話された地点で隼人は昨夜陵牙を襲った男の姿を思い出した、青い髪に紅い瞳・青い服に紅い槍…確かにあの姿は何処か英雄っぽい雰囲気を漂わせる容姿をしていた。真逆とは思うが、あの陵牙が梃子摺る腕前を持つ相手だ、相当強いに決まっている。

そう思ったら、おーい話を続けても良いかーい?と司が手をひらひらと振ってきたので、ふぅっと小さな溜め息を吐くと、良いよ続けて、と手短く答える。そんな彼にそうかい…?と不安げな顔になるも義弟がそういうのなら続けようではないかと思ったのだろう、一瞬にして不安な顔を吹き消していつもの顔に戻る。


「元々クー・フーリンという名前じゃなくて、セタンタという幼名があったんだ。ある日のことだ、コノア王がクランという鍛冶屋の館に招かれたんだ。クランの館には一匹の番犬を飼っていたんだ。丁度良いと思い王はセタンタにも声を掛けるが、セタンタはハーリングの最中であったので終わってから行くと答えたんだ。 然し、王がそれを伝え忘れた為にクランの館にはクランの番犬が放たれたんだ。 そうとは知らずに一人で館にやって来たセタンタは、クランの番犬に襲われるがたった一人で番犬を絞め殺してしまった」

「一人で…それも素手で…?…昔のクー・フーリンって番犬一匹殺せるほどの力を持ってたのか?」

「持ってたんだね。猛犬として名高い自慢の番犬を失い嘆くクランを見兼ねたセタンタは自分が死んだ番犬が残した仔を育て、更にその仔が育つまで番犬としてクランの家を守ると申し出たんだ。この事件を契機きっかけに、セタンタはクー・フーリン…『クランの猛犬』と呼ばれるようになった」

「この頃からクー・フーリンと呼ばれるようになったのか…。ん、でも待てよ。それじゃ何時英雄になったんだ?そもそも、どんな契機で英雄になろうと」

「まぁ落ち着きなさんな、話は逃げないから。此処からがお前さんが求めてた英雄になる契機の話だ。ある日クー・フーリンは『今日騎士になるものはエリンに長く伝えられる英雄となるが、その生涯は短いものとなる』という予言を聞き、騎士となるべく王の元へと向かった。 が、騎士になるにはまだ早いと言う王に対して、クー・フーリンは槍をへし折り、剣をへし曲げ、戦車を踏み壊して自身の力を見せつけたんだ。彼のその力に観念した王はクー・フーリンが騎士になるのを許し、彼の力にも耐えられる武器とチャリオットを与えたんだ」

「チャリオットって…?」
「チャリオットとは古代から用いられた、兵士を乗せ馬に引かせる戦闘馬車のことだよ」


司は初めて聞いた単語に分からずクエスチョンマークを飛び散らせる隼人に、くすっと笑い優しくその単語の意味を解説してあげると再び英雄の話に戻す。


「この後は…まぁ、波乱万丈っていっても過言ではないな。ある時は娘に求婚するも悉く断られたため、影の国を訪れ女王スカアハの下で修行を行ったり、ある時は戦争が起こり、女王はクー・フーリンが戦場に出る事の無い様に睡眠薬を与えるが、彼には効果が薄く彼を止めることが出来なかったりと…」
「なんか…矢っ張り陵牙が梃子摺った相手と同じくらいに、女王は英雄にも相当梃子摺ったわけだ」


隼人は司から視線を逸らし、ぽつりと呟くと彼はきょとんとした顔になり、は…?今なんて…と隼人に向け聞いてきた。

これだから鋭い奴は嫌いなんだよなぁ…隼人は内心そう毒づくと、何でもない…早々と話進んじゃって良いよと言って、再び司の顔を見る。相変わらず彼の顔はまだきょとんとした顔のままだが、ふっと笑みを浮かぶと仕方ないなぁ…と呟いた。


「其処まで言うなら話を続けさせていただくとしようか。戦いは次第に膠着状態になり、アイフェという騎士がこの戦いを一騎打ちで決着を付けようとするが、この時女王は負傷していた為、代わりにクー・フーリンがアイフェと一騎打ちを行い結果クー・フーリンがアイフェを生け捕りにしたんだ。そして女王の下には彼以外にも修行を行う仲間がいたが、その中でただ一人…つまりクー・フーリンにゲイボルグという槍を女王から授かったんだ」




「……槍…?」




そういえば、昨夜陵牙の怪我を診た時背中には綺麗な横一文字の傷跡があった。あの傷はナイフでは傷つけることなんて不可能な筈…。あんな綺麗な傷をつけられる可能な武器といえば槍か薙刀などの長刀ちょうとうくらいしか思い浮かばない。

陵牙が戦った相手があのクー・フーリンだというのだろうか…。其処まで考えたところで馬鹿馬鹿しいと思い、首を左右に振りさっきの思案を取り消すと司が英雄の話を続ける。自分の気の迷いは敢えて突っ込まず気にしないということにしたのだろう、司の翡翠色の瞳には隼人に対する戸惑いの色など見受けられなかった。


「その後、クーリーの牛争いに端を発するコノートの女王メイヴとの戦いの戦禍で、修業時代から仲が良かった親友・フェルディアをゲイボルグで殺してしまうというゲッシュを犯してしまった」

「ゲッシュ…?何度も話を折るような行為で悪いけど、何なんだその単語は」
「チャリオットもゲッシュも全てアイルランドの言葉だよ、ゲッシュはアイルランドの言葉でいう『禁忌』だよ」

「…その『禁忌』をクー・フーリンが犯したというのか」
「そう…禁忌を破った彼の半身が麻痺したところを敵に奪われたゲイボルグで刺し貫かれてしまい命を落とした……この後が僕にとっては非常に興味深い内容だと思うんだけどね」

「この後…?クー・フーリンが愛用の槍で命を落としてしまったのが最期じゃなかったのか?」
「この最期の話には一寸続きがあってね。命を落としたその際、彼は零れ落ちた内臓を水で洗って腹に収め、石柱に己の体を縛りつけ、最期まで倒れる事がなかったという――さぁ、これで英雄の話は終わりだ」


そう言って司は神話の話に疲れたのだろう、うんと背伸び身体を解すなり、もう学校の時間だぞ。行かなくても良いのかい?と聞いてきた。壁に飾ってある置時計を見ると、確かに学校の登校完了時間が残り三十分しかなかった。

また婿養子になった義兄の話を真面目に聞いてしまった…、はぁっと溜め息を吐いた隼人は立ち上がり、襖に寄りかかる様に置いておいた鞄を担ぐとちらりと司を見る。


「なぁ…矢っ張り人が犯す禁忌って、英雄にとって…とても重いものだったんだろうな…」
「そりゃあな…。大切な人や親友をこの手で殺した禁忌は死しても尚、未来永劫消えることはないからね」


司はそう言って机の湯飲みを受け取り残りの茶を飲み干す。そうか…と呟いた隼人はそれじゃ行ってくると一言かけ廊下を出た時だった。




ガラガラと玄関の引き戸が誰かの手に拠って開けられたかと思いきや、見知らぬ女性と男性が御免ください、と一人の女性が一言かけて自宅に上がってきた。

金髪碧眼の外国人の女性に、黒色の髪をツインテールにした女性と、オレンジ色の髪をした男性の三名が入ってくるなり、金髪の女性が北条さんのお宅ですか?と隼人を見て聞く。


「……そうですが、貴方方は」
「あ…えっと、お義兄さんから聞いていないかな?衛宮っていう方たちが来るって」


と、オレンジ頭の男性がしどろもどろになりがち乍らも自分たち――さっき話しかけてきたオレンジ頭の男性がエミヤという人だろう――の来訪を聞いていないか確認する。
無論、隼人は父親がエミヤという方々が来ると話して呉れなかった。恐らく彼には内緒にしていたのだろうと勝手に解釈する。

途端、背を向けていた襖の向こうから司が顔を出して、何だい?如何したんだい隼人、と暢気に言って襖を閉め廊下から出て来訪者の方々の顔を見るなり、あぁ…士郎くん久しぶりだねぇ、と言って隼人の横を横切って玄関口に近づくと突然やってきた来訪者を快く歓迎する。


「何年ぶりだろうな…結構経ってるよね、えっと…二・三年くらい前だっけ?」
「確かそのくらいだと…司さんも相変わらず元気そうな何よりです」

「そんな事はないよ…その、お隣の女性の方々は士郎くんのお友達かな?」
「えぇ、此方は俺のクラスメートの遠坂凛。んで、此方は「シロウの家で居候させていただいてます、セイバーと申します」…という訳でして」


と、彼――衛宮士郎と司が言っていた――が彼の両隣にいる女性二人の簡単な自己紹介を終えると、上がっても宜しいでしょうか…?と上目遣いで聞いてきた。

それを司は愛想良く笑い、遠慮なく上がっていってくださいと言うなり振り向いて隼人を見ると、今日は午前の授業は休んで午後から学校に行ってきなさいと言って、再び隼人の横を通り過ぎて行って襖を開ける。




そのまま入って陶器を片付けるのかと思いきや再び彼を見て、台所の戸棚に和菓子が入ってあるからそれ出してあげなさいと言って、襖の向こうへ入って行った。
■作者からのメッセージ
Fate×オリジの連載小説第三章です。どうも、清嵐です。
今回は戦闘描写とは打って変わって、隼人の義兄が話す「英雄について」の話をお届けしました。
ケルト神話に関してはウィキを参考にさせていただきました。分かりやすく解説するように物語を進ませましたが、いかがでしたでしょうか?
それでは、第四章でお会いしましょう。

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