紅-KURENAI- |
作者: 清嵐青梨 2009年04月17日(金) 00時09分47秒公開 ID:L6pfEASBmTs |
相変わらず闇より暗い夜は不気味で静かで、誰かが何処に潜んでいるのか分からないくらいに、夜は静寂に包まれていた。そんな静寂の夜を青白い満月が神々しく、そして不気味に夜の街を照らしていた。 最も、立ち入り区域で現在工事中の建物内に差し込んでくる青白い月光が剥き出しのコンクリの他にも置きっぱなしの鉄骨や放置されたツルハシまでもを見落とさぬよう煌々と照らし出していた。無論、その建物内にいる一人の少年の姿も忘れずに照らしていた。 工事中の建物内にひっそりと佇んでいる少年は、小柄な身体を黒色の忍び装束が纏い、肩上まである深緑色の髪をポニーテールにして束ね、青銅色の瞳にある決意を篭め、右手に持っているものをギュッと握り締め懐へ仕舞いこみそっと立ち上がる。 じゃり、と履いた草履がコンクリに撒き散らされた小さな砂を踏み潰す。彼はその小さな音すら無視するかの様にどんどん先へ進み、月光から避けるように暗闇へ入る。このまま動かず その時、別方向の場所からじゃり…と砂を踏み潰す音がした。勿論少年のものではない。もっと別の…彼とは違う誰かがこの場所にいる。少年はふと足を止め、静かに音がした場所を見る。その先は黒一色で塗りつぶされていて人影すら見えない。だけど気配だけで彼とは違うと分かったのは、何年も修行してきた力が発揮した証拠である。 少年はその場に立ったまま、只々黒一色の先を見詰める。けど人影は其処から一歩も出ようとはしない。寧ろ警戒している様で、カチャリッと軽い音が鳴る。多分ナイフを取り出した音かもしれない。向こうは完全に武装状態にして少年が何時動くか様子を窺っている。 あんまり、気に乗れない…。少年の本音はそれだけだった。彼は只静かな此処で精神統一をしていただけで、別に殺しにきたわけではない。この場所へ金属音が激しくぶつかり合う殺し合いなど、本当は御免であった。然し今の人影は完全に殺し合いをする気満々であり、少年が動かないので苛立っているのか鉄鋼を何度もカンカンと鳴らす。今か今かと待ち侘びている様である。 … きらり、と鈍く光るナイフの刃に後ろへ後退し苦無で人影の右腕を狙う。人影は黒の武器を避け立て続けに少年にナイフを振り回す。彼は雑なナイフ捌きを何事もないかの様にすいすい避けだし、人影から2・3メートル程度距離を置くと懐から苦無を二・三本取り出すと人影に向けて投げる。向かってくる武器に気付いた人影は少し怯んでナイフで弾き返す。その隙を見て、少年は再び左足に力を篭めコンクリを蹴り出す。 じゃりっと砂まで蹴り出した音が鳴ったがその音を無視し、人影の後ろに回る。彼が自分の後ろにいたことに吃驚し大いに怯えた人影は、ひぃっと小さな悲鳴をあげナイフを下から振り上げる。その刃を後ろへ退がったが前髪が僅かに刃に触れ、ほんの一寸だけ髪が刃に拠って削ぎ取られてしまう。そんな僅かな行為をされたのにも係わらず、彼は右手に持っていた苦無をびゅんっと人影の左腕に向けて投げる。黒色の武器が左二の腕を深々と突き刺さり、腕から感じてくる鋭い痛みにギャアッと叫んで急いで刺さったそれを力を篭めて抜き取る。突き刺さった傷跡から紅色の 頬にかかった血がつぅ…と伝って口角を濡らす。端から広がる血を舌でぺろりと舐め取り自分のとは違う人間の鉄の味を味見する。甘くはないが酸っぱくはない、寧ろ甘さと酸っぱさの中間といったところだろう、少年は頬にかかった血を黒の手甲を着けた掌で拭い取る。 抜いて投げ出された、血で濡れた苦無を拾い構え持つと左腕を抑える人影に近づき左頬を殴りつけコンクリの上に腰を抜かした様に座り込んだところを、再び血に濡れた苦無で右肩に向けて投げコンクリに固定させると、弾き返された苦無を拾い人影の腹に乗ると右腕・左肩・再び左腕と順に突き刺す。 これで身動きは取れまい…。少年は人影が握り締めているナイフを奪い取り、切っ先で服の上をなぞり何処を刺そうか選ぶ。 と、下敷きになり完全に強制武装解除状態になっている人影が涙ぐんだ声で、頼む…命だけは取らないで呉れ…と少年に向けて命乞いを乞うてきた。その言葉を聞いて少年はナイフが左胸に向けたところでピタッと動きを止める。 命乞い…他人の命より自分の命を助けて呉れと懇願する、たった一つの頼み……。少年は思い返す。一昨々年姉と結婚した義理の兄が何度も血を浴びて平気な顔をして何度も命乞いを乞う人間を受け入れず無視して心臓を刺す姿を――。 当初は恐ろしいと感じた、やっと手に入れた義理の兄が他人の願いを受け入れず冷たく突き放す冷酷な人殺しだってことを知った途端、殺されると恐怖したことがあった。 然し、義兄は義弟を殺すことが出来なかった…否、しなかったのだ。彼も長年願い続けてきた義理の弟を失いたくはなかった、殺すことだけは絶対にしたくはなかった、家族だけは危険を犯したくはなかった……。それが、何度も何度も殺し続けてきた義兄が、やっと掴んだ光を失いたくない理由だった。 少年はそんな義兄の理由を快く受け入れ、そして今度からは義兄を二度と人殺しはせぬよう、自分が人を殺す選択をしたのだ。その選択は決して間違ってなどいない。寧ろその選択を選んで正解だったと思う。あの選択をしなければ義兄は自我を失った朽ち果てた殺人鬼と化してしまうから――。 だから、今度は自分が 少年はナイフを持った手を離しそっと人影の目を閉じさせ開いた口を閉ざしてあげる。丸で安らかな眠りについているかの様な表情に変わり、青白い死者の顔から手を離すと深々と刺したナイフを抜き取る。 ブシャァァ…と左胸から噴き出した血飛沫が再び少年を濡らし始める。然し頬にかかった血を拭おうともせず、只々紅色の血をシャワーの様に浴びる。死者の過去と先の未来・長年感じ続けた苦痛と悲痛を受け止めるかの様に凝乎と動かないまま血で己の身体を濡らす。 これで良い…これで良いんだ。少年は死者から離れ左腕と右腕に刺した苦無を抜き取ると己の血で濡れた手を自分の胸の中心に合わせ指を絡める。そして僅かに空いた空洞に血で濡れたナイフを握り締めさせると、安らかな眠りについている死者に向けて言葉をかける。 「左様なら……良い旅を」 短く終わった言葉をかけた少年は右肩・左肩に刺さった苦無を回収しすべて懐に仕舞うと血に濡れた身体で今の自分を黙って照らしている青白い月光に背を向けその場から立ち去る。 じゃり、と三度砂を踏む音が聞こえた。少年はようやくその音に気付くことが出来た。 |
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