Re: THE江戸講座 ( No.41 ) |
- 日時: 2009/05/08 21:35:05
- 名前: ターG改め悠蓮
- 炎獄が積極的だなあ。
ってか俺も調べないと。 当分無理だが。
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Re: THE江戸講座 ( No.42 ) |
- 日時: 2009/05/08 21:37:00
- 名前: 月沢 瑠夏
- はいはーい!
ハレーは使えますか?!
簪じゃない?
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Re: THE江戸講座 ( No.43 ) |
- 日時: 2009/05/08 21:38:16
- 名前: 漆姫
- 貨幣 金一両=銀60匁=銭四4千文:四貫文
らしいです
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Re: THE江戸講座 ( No.44 ) |
- 日時: 2009/05/08 21:39:34
- 名前: 月沢 瑠夏
- 人の命の重さは1匁
0.375グラム…
はないちもんめは人身売買の歌
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Re: THE江戸講座 ( No.45 ) |
- 日時: 2009/05/08 21:40:42
- 名前: 炎獄
- 江戸の夏
江戸の家々は基本的に夏の方が過ごし易いように出来ている 密閉性が低いため隙間風などが入り、その為に部屋を閉め切っていても、多少は外気を取り込むことが出来た 暑さを凌ぐ為に行なっていた事は「団扇」 一つにつき十五文前後、現在で300円程度のもの 江戸時代の清涼飲料的なものは「冷水」砂糖水にお餅が入った物で、一杯100円程度 氷は高級品なので庶民には無理 ある大名は氷を夏まで地下で保存し、それを将軍へ献上していた
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Re: THE江戸講座 ( No.46 ) |
- 日時: 2009/05/08 21:43:32
- 名前: 月沢 瑠夏
- なんで昔の家の屋根に石があるのか分かんなかった…
でも、あれって屋根が飛ばされないようになんだってね
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Re: THE江戸講座 ( No.47 ) |
- 日時: 2009/05/08 21:45:43
- 名前: 漆姫
- 今と違って土葬が一般的だったよな。たしか
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Re: THE江戸講座 ( No.48 ) |
- 日時: 2009/05/08 21:45:55
- 名前: ターG改め悠蓮
- せっかくなので教育について調べてみた。
江戸時代の教育制度は、士農工商の身分制度を反映して、二極化していた。 武士身分を対象とした学校は、幕府直轄の学校と、諸藩が運営した藩校に大別され、その規模、内容共にこの時代を代表する教育機関であった。 一方、庶民の一般教育を引き受けたのは寺子屋である。 他に郷学、塾(私塾)などにおいても教育が行われた。
学問所では、毎月の定日に経書の講義や会読、小試・大試などの試験もおこなわれた。 また、初学者のための学問所直轄の教授所が深川・麻布・麹町にあった。さらに、『寛政重修(ちょうしゅう)諸家譜』『新編相模(さがみ)国風土記稿』など、幕府の編纂事業も学問所がおこなっていた。 そして、このような学問所は藩校のモデルとなり、江戸時代後期には、藩校の教官養成の機能も果たしていた。
藩校(はんこう)は、江戸時代、諸藩がおもに藩士の子弟のために設立した教育機関であった。藩学・藩学校・藩黌(こう)とも書いた。 内容や規模はさまざまだが、藩士の子弟はすべて強制的に入学させ、庶民の子弟は原則的に入学できない。 広義には医学校・洋学校・皇学校(国学校)・郷学校・女学校など、藩が設立したあらゆる教育機関をふくむ。 藩によって異なるが、一般に藩校では「文武兼備」をかかげ、7-8歳で入学してまず文を習い、のち武芸をまなび、14-15歳から20歳くらいで卒業する。教育内容も藩によって異なるが一般に四書五経の素読と習字を中心とし、江戸後期には蘭学や、武芸として剣・槍・射・砲・馬・柔術などが加わった。
寺子屋は、庶民のための学校で、読み、書き、算を教えた。 寺子屋では往来物と称される教科書が使用されていて、『実語教』、『童子教』、『女大学』などがよく使われた。 読み書きが中心だが、寺子屋の師匠と教え子たちのつながりは、かなり長く続いたようで、房総半島では、そうした師匠が亡くなったのち、教え子たちがそのお墓をつくったものが、「筆子塚」として多数残っている。 筆子というのは、寺子屋で教わった教え子の意。
郷学(ごうがく)は、江戸時代の教育機関の中で、最も多様な内容を含んだものであった。 藩学校が武士の師弟を教育し、寺子屋が庶民を対象として、読み書き算盤を教え、塾がその中間にあって武士も庶民も教えたという中で、郷学は教育内容の面では、それらとかなり重複する側面を持っていた。 形態は、藩が設立し、藩学校の分校のようなものから、庶民を対象にしたもの、藩と庶民が協力して設立したもの、庶民のみの手になるものなどがあった。藩が設立したものでは、岡山藩の閑谷学校(しずたにがっこう)が有名。
ウィキの引用だけど結構いろいろわかるもんだね。
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Re: THE江戸講座 ( No.49 ) |
- 日時: 2009/05/08 21:48:07
- 名前: 月沢 瑠夏
- 土葬…今も一部ではやってるけどね
足下を見る
このことわざは籠をやってる人たちから生まれた 足がよろよろの人に高く値段をつけて乗せてたから
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Re: THE江戸講座 ( No.50 ) |
- 日時: 2009/05/08 21:51:51
- 名前: 炎獄
- 身分について
江戸時代の身分制度には暗いイメージがあるのは『士農工商』という身分分けが徹底されていたと習うからだろうが実際は後期に行くほど形だけになっていった身分制度だといえる それほど厳密に身分制度が確立されていたわけではなく、士農工商とは言えど、その中で身分制度に縛られていたのは武士だけだと言っても過言では無い
江戸時代の中期以降となると、一般庶民の生活水準の上昇の一方で武士の生活は貧困の一方を辿り、多くの下級武士はますます『切捨て御免』のイメージからは遠ざかっていった 自らの生活を守る為に内職をする必要に迫られた武士もいるほど 武士と言う肩書きだけで威張れるような雰囲気ではなかったようだ
男女差別については、政治などの主要な部分の表舞台へ女性の進出がされていなかったことについては、確かに「男尊女卑」の傾向があった事は間違いない しかし江戸時代では多くの女性がしっかり働いていて一般庶民にとって働く女性は全く珍しくなかった
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